太閤秀吉が築いた初代大坂城の石垣を発掘・公開への取り組みと募金案内。

豊臣石垣コラム Vol.85

公開事業に伴う発掘調査の経過(4)
-本丸東雁木の調査と内堀石垣の裏込め-

平成27年度の調査

平成27年度に実施した調査(OS15-4次、1~4区)は「御金蔵」の東側(1・2区)、舗道の東側(4区)と、公開石垣の北端(3区)に分けて調査を行いました(図1)。年度の前半に1・2・4区を、中断をはさんで後半に3区の調査を行い、現地公開も2度に分けて実施しました。したがって1・2・4区の調査を第4次調査、後半に実施した3区の調査を第5次調査として紹介します。

第4次調査のうち1区は第1次調査地で検出した石列の一時的な移転と石列下層の調査、2区は1次調査地の南側拡張部の調査、4区は本丸東側の内堀石垣裏側の雁木部分の調査です。1区の調査では石列の据え付け痕跡と西側の控柱の関係が明らかとなり(写真1)、2区の調査では第1次調査で検出した瓦溜まりの連続が見つかりました。

図1.調査区の位置と4区の遺構

図1.調査区の位置と4区の遺構

4区の調査

4区の調査範囲は馬印櫓と月見櫓に挟まれた位置にあたります(図1)。調査では近代以降に埋められた地層を除去し、埋没した雁木と徳川期の地層の上面を確認しました。その結果、内堀石垣の天端から西約12mの位置で南北方向の石列Aが確認され、それを境に西側(城内側)に徳川再築時の盛土層が確認されました(図1、※1)。石列Aは盛土層に沿ってさらに深くまで連続するように見える部分もあります。そこから東側(内堀側)は栗石を主体とした地層によって埋められています(写真2)。このことから石列Aのラインが内堀石垣の裏込めと本丸の盛土を分けるラインであると考えられます(※1)。

また、石列Aから内堀の方向に向かって東西方向の石列B・Cが見つかっています(図1・写真2)。この二本の石列は内堀の石垣構築の作業工程のなかで形成されたと考えられますが、その機能については明確ではありません。

写真1.1・4区調査の公開(平成27年11月1日)

写真1.1・4区調査の公開(平成27年11月1日)

福岡藩黒田家の石垣普請の記録

4区で確認された遺構は、内堀石垣の裏込めと雁木に関する遺構でした。本丸部分の石垣は徳川再築工事では第2期工事にあたる元和10~寛永2(1623・1624)年に普請が行われています。石垣普請における大名の分担区分を示す『大坂城普請丁場割図』によれば、馬印櫓を挟んだ24間の範囲を福岡藩黒田家が担当し、月見櫓の屈折部から北へ21間を佐賀藩鍋島家が担当しています。黒田家と鍋島家に挟まれた部分は石高の少ない7家の大名が分担しています。

ところで黒田家による馬印櫓部分の石垣普請について、丁場規約の定書と考えられる文書が黒田家に残されています。この文書を詳細に検討された中村博司氏によれば、黒田家が担当した24間の丁場は馬印櫓の出隅部を境に南と北に分かれ、北丁場が15間4尺6寸8分(約31m)、南丁場が屈曲部2間(約4m)とその南、6間1尺8寸2分(約12m)となっています(図1)。

さて、この定書で注目されるのは、新たに築こうとしている石垣の背後に「古石垣」が残されていると書かれていることです。北丁場で6間奥(約12m)、南丁場で4間奥(約8m)の位置に「古石垣」があるとされているのです。中村氏は論文のなかでこの「古石垣」が豊臣期の石垣が残されたものではないかとされています(※2)。

発掘調査によって確認された裏込め推定ラインの位置(現石垣天端から12m奥)と黒田家の北丁場における「古石垣」の位置(築造予定石垣の約12m奥)がほぼ一致することは偶然とはいえず、裏込め推定ラインの城内側下の下部には今も豊臣期の本丸石垣が眠っている可能性が大きいといえるのではないでしょうか。

写真2.4区で発見された徳川期一括盛土と石列(北から)

写真2.4区で発見された徳川期一括盛土と石列(北から)

雁木基底部分のしつらえ

4区の範囲は、黒田家が分担した馬印櫓屈折部から北へ31mまでの部分から、7家の大名が普請を分担した部分にわたっています。内堀の高石垣の分担が明瞭に区分されているのに対し、雁木の部分がどのように築かれたのかはよくわかりません。今回2か所で雁木の基礎部分まで調査し、基底部の築き方が全く異なっていることが明らかとなりました(写真3)。基礎のしつらえが担当の違いによって異なっていたのではないかと考えられるのです。このことも今回の調査で明らかになった新たな事実といえます。

写真3.雁木基礎部分の二者

写真3.雁木基礎部分の二者

※1:京嶋覚2016「徳川期大坂城の土木技術と建築技術」大阪市文化財情報『葦火』180号

※2:中村博司2010「徳川幕府による大坂城再築の一様相-黒田家丁場における石垣普請を事例に-『城郭史研究』30号 日本城郭史学会

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