太閤秀吉が築いた初代大坂城の石垣を発掘・公開への取り組みと募金案内。

豊臣石垣コラム Vol.47

「ミライザ大阪城」に展示室オープン

特別史跡大坂城跡展示室がオープン

平成29年10月19日にオープンした“ミライザ大阪城”内に新しい展示室が完成しました。ミライザ大阪城の詳細につきましては、運営する 大阪城パークマネジメント株式会社のホームページをご覧いただき、ここでは建物内にオープンした『特別史跡大坂城跡』展示室を紹介します。

ミライザ大阪城の建物は、旧陸軍第四師団司令部庁舎として昭和6年3月22日に竣工したものです。現在の大阪城天守閣が昭和天皇の御大典記念事業(※1)として市民の寄附によって再建されたことはよく知られていますが、師団司令部庁舎も同事業の一環として市民の寄附によって建てられたものです。

この建物は、第二次大戦後アメリカ軍に接収され、返還後は大阪市警察庁、大阪府警本部などとして使われた後、昭和35年12月から大阪市立博物館として平成13年3月まで使用されていました。この大阪市立博物館の時代をご存知の方も多いのではないでしょうか。平成13年に閉館した後は、16年にわたって閉鎖されていましたが、大阪城の魅力向上事業の一環として、このたびリニューアルオープンしたものです。

さて、展示室はミライザ大阪城の1階南西隅の約65m²を占めています(写真1)。入り口上部には展示室の存在を明示する特別史跡大坂城跡の文字が掲げられています(写真2)。展示は部屋の四面(A面〜D面)の壁面を使ったパネル展示で、東側の入口を入り、反時計回りに見学するように設定されています。

展示パネルの最初となるA面には史跡のエリアを描いた現在の大阪城の航空写真と大坂城跡を象徴する徳川期の建物・石垣・巨石・堀の写真と、特別史跡大坂城跡の歴史や指定の経過を簡潔に紹介しています(写真3)。

写真1.ミライザ大阪城の位置と展示室の位置

写真1.ミライザ大阪城の位置と展示室の位置

写真2.展示室入口

写真2.展示室入口

写真3.A面のパネル

写真3.A面のパネル

写真4.B面のパネル展示風景

写真4.B面のパネル展示風景

大阪城の歴史年表(写真4)

展示室で最も長い壁面となるB面では、①大阪城前史 ②大坂本願寺の時代 ③豊臣大坂城の栄華 ④徳川幕府による再築 ⑤幕末から明治へ⑥昭和の天守閣復興、という6つの段階に分けて大阪城の変遷を示しています。

それぞれの段階の大阪城に関わった人物、例えば蓮如上人、豊臣秀吉、高台院、徳川慶喜、關一などの肖像画や肖像写真を示すと共に、大阪城の変遷を示す大阪城や城下を描いた絵画や絵図、古写真などを掲示しています。また、年表中には海外からの訪問者の理解に資するため、各国の世界遺産の完成年などを示しています。

写真5.展示ケースとC・D面のパネル展示風景

写真5.展示ケースとC・D面のパネル展示風景

幕末大坂城の雄姿

年表の下には、八尾市在住の城郭研究家志村清氏が再現した幕末の大坂城本丸の雄姿を掲示しています。志村氏は宮内庁書陵部に所蔵されている幕末期の大坂城古写真を独自に合成し、本丸を東西南北の四方から望んだ姿を復元しています。本丸には本来11棟の3層櫓とそれを結ぶ多聞(たもん※2)白壁が連続していましたが、戊辰戦争の混乱による火災によって本丸内の建物はほとんど焼け落ちてしまいます。志村さんの復元写真は、西国支配の拠点として徳川幕府が築いた徳川期大坂城の雄姿を彷彿とさせるものといえます。

昭和6年の大阪城公園の開園と師団司令部庁舎

B面の最後からC面にかけては昭和6年の御大典記念事業であった天守閣復興と師団司令部庁舎の建設、大阪城公園の開園を紹介しています。師団司令部については、展示室だけではなく建物の要所に竣工当初の写真を掲示し、建設当初の建物と比較ができるように配慮が行なわれていますので、ぜひ、現地でご覧下さい。

写真6.昭和6年(1931)整備された当初の本丸広場(風水害復興記念絵葉書)

写真6.昭和6年(1931)整備された当初の本丸広場(風水害復興記念絵葉書)志村清氏所蔵

大阪城を歩く

C面からD面にかけては、大坂城跡の各エリアに残る文化財の見所、大阪城の自然と季節を感じることができるポイントが大阪城公園の地図にプロットされ、それぞれの風景が紹介されています。四季の移ろいは、写真家登野城弘氏の撮影によるもので、大阪城の四季の魅力が写真から伝わってきます。D面に掲示された地図は、展示室で無料配布されており、これを手に大阪城公園を散策していただくことができるようになっています。

本物の展示

最後に展示室中央に展示した実物資料を紹介します。ガラス張りの展示ケースに2点の瓦を展示しています。1点は豊臣氏大坂城の武家屋敷から出土した五七桐文金箔方形飾り瓦、もう1点は三葉葵文鬼瓦です。金箔瓦は森ノ宮地区の武家屋敷跡から出土しています。大坂城内のみならず、周辺の武家屋敷からも金箔瓦が多数出土しており、大坂の町全体が金色に輝く様が想像できます。

三葉葵紋はいわずと知れた徳川家の家紋で、瓦の大きさから寛文5年(1665)に焼亡した天守の屋根に使われていたものと考えられています。大坂城で見つかっている鬼瓦の中ではもっとも大きいものですが、天守の大棟を飾る鬼瓦の寸法は展示の瓦よりさらに大きかったことが分かっています。瓦の大きさから、徳川期天守の大きさを実感していただけるのではないでしょうか。

ミライザ大阪城の展示室について展示の概要を簡単に紹介してきました。入館は無料ですのでお気軽に見学していただき、大阪城の魅力に触れていただければと思います。

写真7.豊臣期大坂城の金箔瓦

写真7.豊臣期大坂城の金箔瓦

写真8.徳川期大坂城の鬼瓦

写真8.徳川期大坂城の鬼瓦

※1:御大典記念事業(ごたいてんきねんじぎょう)昭和天皇の即位を記念する事業として天守閣の復興、大阪城公園の整備、師団司令部庁舎の建設などが実施されました。

※2:多聞(たもん)防壁を兼ねた長屋造りの建物。

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