太閤秀吉が築いた初代大坂城の石垣を発掘・公開への取り組みと募金案内。

豊臣石垣コラム

豊臣時代の化粧道具「櫛払(くしばらい)」

遺跡から出土する骨製の道具

豊臣時代の遺跡から出土する遺物の中に、牛や馬の骨を材料とした道具があります。例えば笄(こうがい※1)や簪(かんざし)といった髪飾りの道具、サイコロや双六の駒など遊具に関るもの、金や銀、生薬など軽量の物品の重さを量る棹秤(さおばかり※2)の棹などです。

これらの骨で作られた道具の一つで、当初、用途が分からなかった製品がありました。長さ6㎝、幅3㎝ほどの製品で、一方に鋭く尖らせた歯がつきます(写真1)。一見、櫛に見えるのですが、歯の間隔が粗いことや、製品の幅が狭いことから櫛であるという確証が得られていませんでした。

そんな時、羽曳野市教育委員会の河内一浩さんから、この櫛状の製品が近世の化粧道具の一つで、櫛の掃除道具である「櫛払(くしばらい)」だろうと教えていただきました。江戸時代の化粧道具を扱った図録の中に、類似の製品が含まれていることも分かってきました。そして、用途を確定する決定打となったのは、平成5年(1993)に行なわれた発掘調査で、上部の円孔の中に、棕櫚(しゅろ)皮の繊維が刷毛として取り付けられたものが見つかったことです(写真2)。これによって骨製の歯の部分だけを使う道具ではなく、上部にある円孔に刷毛を取り付けた製品であることが明らかになったのです。

写真1.豊臣期の櫛払

写真1.豊臣期の櫛払

櫛払の特徴

それでは、骨で作られた部分を詳しく見てみましょう。ここでは説明のために、仮に三つの部分に分けて検討します。歯を下にしてみた場合、製品の上部中央にやや大きな孔があけられ、左右に小さな孔があけられています。

この部分までをここでは仮に「頭部」とします。また、使用時に指で挟む中央部分を「胴部」、2本の沈線を挟んで、その下の尖った部分を「歯部」と呼ぶことにします。頭部中央の孔は径9㎜、左右の孔は5㎜です。中央のやや大きな孔は刷毛を入れるためのものであることがわかっていますが、左右の小さな孔の用途は不明です。本来、何らかの機能がある可能性もありますが、装飾の可能性もあります。

また、胴部には径2〜3㎜の小さな丸い窪みが模様のようにつけられています。写真1の櫛払では、頭部中央の孔の下に二つ、その下に五角形を意図したと思われる位置とその中央、そして胴部の下の左右に窪みがつけられています。この窪みにはいずれも彩色があり、胴部にある五角形を構成する5個の窪みが赤、それ以外は黒く塗られています。(写真1)。裏面にも同様の彩色があります。歯は9本で先端を薄く鋭く尖らせています。この尖った部分で櫛の汚れを掻き出し、刷毛でそれを払ったのです。

さて、出土した櫛払は牛あるいは馬骨製でしたが、水戸徳川家に伝わる17世紀の櫛払は胴部に「三葉葵」の家紋を刻んだ象牙製です。刷毛の部分は白い動物性の毛が使われています。庶民向けの製品のほかに材質の異なる高級品があったのです(※3)。

写真2.刷毛が残ったまま出土した櫛払

写真2.刷毛が残ったまま出土した櫛払

櫛払の変化

また、時代によって櫛払は形を変化させながら続いていることも分かってきました。大坂出土の骨製品の生産と流通をまとめた久保和士さんの研究を基に、大坂の櫛払の変化について見てみましょう(※4)。

写真3は大坂で出土した「櫛払」を時代の古い順から並べたものです。胴部の変化を見てみますと、豊臣時代の製品(①〜③)は、小さな窪みで文様が表現されていますが、17世紀中頃の(④・⑤)では、「梅鉢文(※5)」のような孔に変化しています。④・⑤の櫛払では刷毛が入る孔が楕円形になり、④では刷毛の入る楕円形の孔の側面にクビレが加えられています。⑥は形の変化が激しく、胴部の文様が当初五角形を意識したものであったことが忘れられているのではないかと思われます。ただ、頭部に刷毛を入れる孔があり、下端に歯を作り出す点は豊臣期の櫛払の形を留めています。

ところが、17世紀後半の⑦・⑧になりますと、形状が根本的に変化します。製品が長くなり、刷毛を取り付ける孔は一つではなく小さな孔が多数あけられます。短い毛が柄の部分と直交するように付けられ、一見すると現在の歯ブラシと同じ形をしています。下端の歯は胴部より広く作りだされるのが特徴です。

写真3.大坂出土の櫛払の変遷

18世紀の⑨になりますと櫛状の歯は無くなり、先端をヘラのように薄く尖らせ、この部分が歯の役割を果しています。豊臣時代の櫛払と18世紀の櫛払を比べると、とても同じ機能を果したとは思えないほど形状は変化していますが、年代順に並べて見ますと、その変化の様子がよく理解できます。

一方、骨で作られた櫛払がいつ、どのような形で出現してくるのかについては大坂城の出土品からだけでは分かりません。熊野速玉大社に奉納された14世紀の櫛払は、細い金属を束ねただけのものです(※6)。このような形態から骨で作られた歯の部分と刷毛が合体するような形に何時、どのような形で変化してきたのか、現状では分かっていません。櫛払は化粧道具の一つとして櫛とセットで伝世されているものも多くありますので、思わぬ発見によって疑問が氷解することがあるかもしれません。

なお、今回紹介した櫛払は 大阪歴史博物館 9階に展示されています。機会がございましたら是非ご覧下さい。

※1:髪を整えたり、痒いところを掻いたり、耳垢をおとすための道具。

※2:一本の棹を使い、棹の端に吊るした皿に量るものを置き、把手を支点として錘(おもり)を移動させ、水平になる部分の目盛を読んで重さを量る道具。骨で作られた製品は軽いものを量るもので、直径5㎜ほどの細い棒に、3種類の目盛が刻まれています。

※3:久保和士1993「櫛払」(財)大阪市文化財協会『葦火』46号

※4:久保和士1999「近世大坂の骨細工」『動物と人間の考古学』真陽社所収で大坂の骨細工のことや、櫛払の変遷が詳しく考察されています。

※5:梅の花を上から見た形を図案化したもので、中心とその周りに5つの○を花弁のように配した文様。

※6:長崎巌1999『女の装身具』日本の美術№396 至文堂

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